「もう一軒だけ、頑張ろう」
『忘れたらあかん!』ということで、クボタショックから20年の尼崎集会が、6月28~29日、尼崎市中小企業センターで開催されました。
司会 隠岐(おき)拓世話人

中野ひろまさ国土交通大臣の能村(のうむら)秘書があいさつ。

環境省石綿健康被害対策室の辰巳秀爾室長「2005年のクボタショックの報道を受け、専門家が集まり、限られた時間で石綿救済法を制定。石綿被害は、まだピークアウトしていない。被害の多様性を感じ、より良い制度へ向け、関係者の声を聞く必要がある。参加者の熱気を感じた」とあいさつ。

尼崎氏の松本眞(しん)市長「『想像(力)』の重要性を指摘。被害者の悔しい思いを受けとめ、市政に生かす。環境省の辰巳室長の『制度に関するコミュニケーションが必要』という言葉を信じる」と挨拶。

尼崎市の畑俊郎疾病対策課長が、石綿検診(石綿読影の精度に係る調査)や、尼崎城のライトアップ(問題を風化させない、という意味)について説明。

尼崎労働者安全衛生センターの飯田浩事務局長が、阿部知子衆院議員のメッセージを紹介。クボタショックにおけるクボタとの話し合いについて説明。同居家族の発症(下記)など、深刻な被害を報告。故平田忠男会長を先頭に運動してきたと話しました。
同居家族の複数がアスベスト被害に – アスベスト患者と家族の会 連絡会

連絡会の平地千鶴子共同代表が、つらい気持ちを抑えて活動してきたと語りました。被害は患者本人だけでなく、身内、生徒(夫はバイオリンの先生)にまで及ぶ。
そして、冊子『緩慢なる惨劇に立ち向かう14』にある「アスベスト 悲しみのブルース」を歌いました。――生まれたところは尼崎 戦争終わって二年目の春/育ったところも尼崎 クボタの会社のすぐちかく/セメントこねて石綿混ぜて 水道管作ってた クボタの工場(こうば)・・・」
「平田会長の思い出を胸に、環境被害に遭った私たちの救済前進を」と呼びかけました。

歌「空をゆくつばめ」(下記に、楽譜)「上を向いて歩こう」

落語 壽文寿(ことぶきもんじゅ)師匠

兵庫医科大学の島正之名誉教授が、クボタショックへの環境省・尼崎市の対応、疫学の意義を説明。
車谷・熊谷(くまがい)両氏による「尼崎クボタ旧神崎工場周辺に発生した中皮腫の疫学評価」を解説。
中皮腫発症の高リスクを示した「石綿ばく露の疫学的解析調査」(2006年度、環境省・尼崎市)を説明。環境省の検討会における調査結果に対する評価をめぐり、神戸新聞が「宙に浮いた疫学調査」と報じたことを紹介しました。
疫学調査が環境省での対応から、研究者主導に切り替えられ、祖父江・島・車谷・熊谷氏ら研究者により、連絡会などの研究協力で「コホート内症例対照研究」(2015年度~)が進められたことを報告。アスベストへの環境ばく露が住民の中皮腫発症のリスクを高めたという結論を指摘しました。

ベルランド総合病院の岡部和倫(かずのり)医師が、中皮腫手術を受けた環境ばく露の女性患者が5年以上生存していること、手術・術後管理の質が執刀医などによって異なり、腕の確かな外科医の手術が望ましいと指摘。

聖路加国際大学の長松康子先生が、訪問看護を活用して「穏やかな療養生活を」と呼びかけました。

尼崎安全センターの塩見有生(ゆうき)さんが、集会宣言を読み上げました。その一節。
「私たちは、クボタの被害者対応の現場で私たちに対応している担当社員の誠実さを疑ったことはありません。なのに、700人にも達する産業被害を引き起こした会社の責任者が20年の節目にこの場に出てきて、多くの人生を台無しにされた被害者に深く頭を下げることができないというのは、どうしてなのでしょう。普通の市民感情として、私たちには到底理解できません。」

宇田川かほる世話人の閉会の辞

二日目(6/29)
DVD 八木 龍八「明日への伝言」と今井 明「私の撮った20年」
八木さんと今井さんのアスベストに対する思いをDVDに残しております。
尼崎市内でのアスベスト飛散防止への取り組みについて、尼崎市環境保全課長 中井 良人さんが話をされました。
アスベスト患者と家族の会連絡会世話人 古川 和子さんは、「もう1軒だけ、頑張ろう」と立ち寄ったガソリンスタンドでの偶然の出会いなど、古川さんのクボタに対する執念を感じさせるお話でした。
アスベスト患者と家族の会連絡会の井畑 秀明さんは、建設現場で石綿を扱って中皮腫になった体験談をされ、聴く者は身につまされました。
特別講演1 「進んできた中皮腫の内科治療」 木島 貴志 兵庫医科大 呼吸器内科
木島先生による講演で、医学の進歩により中皮腫の内科治療の効果が期待できるようになってきたお話でした。
特別講演2 「阪神淡路大震災とアスベスト飛散防止」 中地 重晴 熊本学園大学
阪神淡路大震災のがれき処理で大量のアスベストが飛散した。アスベストの飛散や吸引をどう防ぐのかが課題です。
特別講演3 「尼崎にアスベスト資料センターの設置を」 名取 雄司 NPO中皮腫・じん肺・アスベストセンター
クボタショックから20年が経ち、尼崎集会は一つの区切りをつけたのですが、今後もアスベストの患者と家族に向き合い活動していく中で、風化させてはならない。将来へ継承していくための拠点としてアスベスト資料センターの設置を松本真尼崎市長に話をし、建設に対し前向きな意見を聞いたと述べました。
(2日目の記載は、安藤敏孝世話人)