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宇田川 かほる さんの体験談

体験談

 夫の胸膜中皮腫と労災遺族補償裁判

アスベスト被害者遺族 宇田川 かほる

1999年の夏、夫は人間ドックと精密検査で肺がん(2期の始め)と診断された。

9月中旬、夫はS病院で左肺下葉摘出手術を受けた。術後の医師の説明に、手術は無事に終わったと安堵していた。ところが手術の10日後、医師は私一人を呼び、「病理組織を詳しく調べた結果、肺がんの他に悪性胸膜中皮腫にも罹患していた。しかし中皮腫は手術が不可能な状態だった。中皮腫はアスベスト(石綿)が原因で発症し、現在の医学では治療法がない。ほとんどの医師が中皮腫について学んでいない。余命は恐らく 2 年でしょう。ご主人はアスベスト(石綿)を扱う仕事の経験がありますか?」と言った。

夫は教師を天職とし、教え子たちにも仕事にも常に誠実な生き方をしてきた人だ。喫煙の経験もない夫に肺がんだけでなく、中皮腫まで罹患とはあまりに残酷ではないか。

夫は呼吸困難と胸の痛みに苦しみながら、2001年11月1日、夫は息を引き取った。64歳だった。夫にアスベストを扱う仕事の経験はなく、何処でアスベスト粉塵を吸ったのか当時は分からなかったが、夫の勤務校で1960年頃から、校舎の増改築工事が繰り返し行われていたことを思い出した。その後、校舎の何か所にもアスベストが使われていたことが判明した。夫はそのアスベスト粉塵にばく露して、数十年経って肺がんと胸膜中皮腫を発症したと考えられた。

2006 年秋、私は労働基準監督署に労災請求した。労基署は「教員のアスベスト被害はありえない。国語の教員なら尚更だ」と真摯な対応ではなかった。勤務先の学校も非協力的だった。遺族補償は不支給とされ、審査請求・再審査請求も棄却された。2011年7月、国を被告として提訴したが、2016年11月名古屋地裁で敗訴した。

名古屋高等裁判所に控訴

高裁では、校舎建設や改修時の風向き等のデータも加え、更に詳細なばく露状況を立証した。被害者の数十年前の職場の状況について、一般的に家族は知り得ないことだ。ましてや本人が死亡していれば、職場でのばく露を遺族が立証するのは極めて困難。幸いにも私はこの学校で学んでおり、当時の記憶が多く残っていた。

高裁の藤山裁判長は私の意見陳述にじっと耳を傾けてくれていた。だが裁判は最後まで分からないと聞く。3 人の弁護士や多くの支援者に励まされ大変心強かったが、不安で私は眠れない日が続いた。

逆転勝訴 画期的な判決

2018年4月11日、判決は逆転勝訴となった。緊張のためか、私は裁判長の判決の言葉が聞き取れず、傍聴席の歓声と拍手、弁護士の笑顔を見て勝訴と分かった。夢ではないのか、自分の体が宙に浮いたような気がした。夫が逝って17年目の労災認定、夫の遺影を抱いて娘と泣いた。「よくやったな~。よく頑張った。ありがとう」と夫は褒めてくれるに違いない。夫を救ってくれた藤山裁判長に深く感謝した。

判決文は「国の1年以上のばく露設定は十分な医学的根拠に基づくものとは言えない。勤務した34年の間に多数の建物で石綿が使われ、石綿を使用した校舎の改築工事も頻繁にあり、一般環境レベルを超える濃度の石綿粉塵に相当期間曝されていた。石綿を吸い込む状況で仕事をしていたのは1審の8か月以上」として、中皮腫発症との因果関係を認めた。

また1997年の国際会議で示された診断基準が中皮腫に関し、「短期間または低レベルの石綿吸引でも職業関連と診断するのに十分」としたことを挙げ、他に原因が見当たらない限り、短期間でも業務起因性を認めるのが相当」と労災認定基準の見直しに踏み込んだ画期的な判決だった。期限の2週間後、国の控訴はなく夫の労災は確定した。

夫は校舎にアスベストが使われていたことなど知る由もなく、懸命に勤務に努めた。アスベストばく露から何十年も経って中皮腫を発症し、命を奪われた。その原因を遺族が立証しなければならないのは、あまりに酷で理不尽だと国に強く訴えたい。 この勝訴の判例により国の基準が改訂され、多くのアスベスト被害者の労災や公務災害の認定に反映されることを私は切に願っている。さらには労災、救済給付の区別なく、残された遺族にアスベスト遺族年金制度が制定されるべきと、国に強く求めたい。

夫・宇田川 (さとる) の短歌(病を得てからの歌より13首)

死への怖れの残酷な日々を、夫は短歌形式の中にその思いの限りを封じ込めることにより、少しでも心の安寧を保ちたかったのだろう。

  • ・肺腫瘍と書かれたるカルテ見やりつつなほ我の身をば信じむとせり
  • ・自覚なき我のいづこにがんは棲む全き身をば誇りしものを
  • ・さりげなく結果告げつつ妻を見る汝も亦心痛み居しものを
  • ・麻酔薬に瞬時にわれは消え失せぬ死も亦かくて訪れむとす
  • ・薄明にただよふ肩の冷たさよ娘の呼ぶ声に意識は戻る
  • ・切りとられ差し出されたるわが肺をいとしきものと妻はいいしか
  • ・背を曲げず眠れることのうれしさよ胸水抜きし身の安らかさ
  • ・門限の声に促す我の足の冷えさすりつつ妻は帰らず
  • ・我を看て夜ふけ帰れる雪道の妻を神よ安らけくせよ
  • ・門限を過ぎ我を看る汝が面の骨だちゆけば涙わききぬ
  • ・己が身も時間も我にかける妻まどろむ見れば頬はやせたり
  • ・高らかに勝ちをたたえて歌いたし今日もひとつの薬剤をのむ
  • ・深々と大気吸いたしこの森に身を放ち居る片肺の我